ネオ・ユートピア編集部です。
アニメジャングル黒べえの監督をされた出崎統さんが4月17日逝去されました。
まだ67歳という若さ、残念でなりません。
「あしたのジョー」などを手掛けたアニメーション監督、出崎統(でざき・おさむ)さんが17日午前0時35分、肺がんのため死去した。67歳。通夜は20日午後6時、葬儀・告別式は21日午前9時半、東京都府中市多磨町2の1の1、多磨葬祭場思親殿で。喪主は兄、哲(さとし)氏。(産経新聞)
「ジャングル黒べえ」のメッセージは 今も生きている
(NU37号 「ジャングル黒べえ」特集より抜粋)
オープニング
01-1「黒べえ大登場の巻!」コンテ さきまくら(出崎統)
20-1「強敵ガックあらわる!の巻」コンテ さきまくら(出崎統)
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そして「ジャン黒」に!
―そして翌年に「ジャングル黒べえ」('73 )が始まりますが、楠部三吉郎さんが「ジャングル黒べえ」の素案は宮崎駿さんが作ったんだよとおっしゃっていたのですが―
●僕は知らないなあ。でも楠部さんがそうおっしゃるなら、そうかもしれないね。最初は「ど根性ガエル」('72 )なんかを手伝っていたんだけど、「ジャングル黒べえ」は東京ムービーでの最初の監督作品です。その時、初めて藤本さんとお遇いして、全くのアニメオリジナルとしてキャラクター像を作っていただいて、話し合いで企画を決めて。
―東京ムービー側の発起人の方はどなたなのでしょう
●もう亡くなられたんですけど藤岡豊さんという方で、国際放映とT B S と組んで東京ムービーを立上げられた方です。途中で国際放映の専務になって、またしばらくして返り咲いて…。僕はその人とずっと仕事やっていて、最後の作品は『N E M O 』かな。「ジャングル黒べえ」の企画書は藤岡さんの意向を受けて、東京ムービーの企画室の方が作ったんだと思います。
―藤本先生とこんな番組にしようとお話されたのは企画段階だけでしたか
●どんな話をしたのかは覚えていないけれど、新宿かどこかで、最初にお遇いしたのだけ覚えてます。藤岡さんと藤本さんが来られて、すごい優しい人だったよ。お酒あまり飲まれない方で。もう落ち着いた感じで。
―アニメ用のキャラクターのデザインを起こされたのは?
●僕は黒べえの絵が完成してから参加しているから、それ以前のことはわからない。(本誌掲載の)黒べえの初期デザイン案の存在も知らなかったですね。たぶん、藤本さんにこういう内容のこういうキャラを描いてくださいと発注しているので藤本さんだと思います。
―実際にテレビアニメ「ジャングル黒べえ」が始まったあとは、ストーリーは藤本先生とはご相談なく作られていたのでしょうか
●テレビアニメ側は、こっちはこっちでどんどん作っていったみたい感じでしたね。間に合わないからね。原作マンガを積まれて、これをどう分析するかはやった覚えがないし。先ほどの企画書みたいに、設定が決まっていて、後から絵をつけるという意味ではテレビアニメ先行でやっていたのではないかな。
―O P のコンテはどなたが描かれたのでしょうか?
●僕が描いたのかもしれないけど、よく覚えていないです。第一話(A パート)を作ったのはよく覚えているんだけど。ED もどうだったっけ?
―三チームほどのローテーションで制作されていらっしゃったようですが―
●いわゆる(A パート・B パート型式の)二階建てというのはコンパクトだから、結構回転がよくて。制作が間に合わなかったら、入れ替えちゃうこともできてよかったね。それでも僕は、絵コンテの直しに追われて大変だったけどね。
―作画監督に椛島義夫さんや杉野昭夫さんの名前が出ていますが―
●杉野さんはマッドハウス時代から、ずっと一緒にやってますが、椛島さんや芝山努さんとはこの作品で出会った、東京ムービーの作画の全責任を負っていた楠部大吉郎さん一門のA プロの人たちです。お互い切磋琢磨・刺激を受けながら「ガンバの冒険」('75 )まで一緒にやったね。同時期に「新オバケのQ 太郎」('71 )「ど根性ガエル」をやっていたので、A プロの古参の人たちはできなくて、「ジャングル黒べえ」はマッドハウスとA プロの若手の人たちで作った分、当時のほのぼのギャグマンガという感じじゃなくて、前衛的というか、映像的に突き抜けたものになりましたね。
―二頭身のキャラクターが所狭しと動き回り、細かいカット割や背景がこれでもかっと切り替わって、現在でも新鮮な映像です
●そうなんだよ。そういう意味では〈藤子さんタッチ〉じゃなかったかもしれないけど(笑)。映画タッチというか…。
―出崎監督は劇画タッチ作品が多いようですが、こういったギャグ作品も自然体でできるんですか?
●「ガンバ」では半々だったけれど、何故か「あしたのジョー」をやってしまったばかりに劇画タッチの作品が多いんですけど、どっちかと言うと本当はこういうギャグ作品が好きですよ。
―放映半ばにしてアニメオリジナルでライバルキャラクター・ガックを出されていますね
●視聴率対策とかではなくて、新鮮に展開させるために出したんだと思います。
―放映期間の計画は最初から半年ほどだったのでしょうか
●残念なことに裏番組が強くて、東京では(視聴率は)全然駄目だったみたいね。大阪ではまあまあ行ってたらしいけど。「ジャングル黒べえ」の方がぜんぜん面白かったと思うけどね。番組としては予定通り終わったのだと思うよ。そのあと、すぐ今度これやってって『エースをねらえ!』の原作を積まれて。「こんなの俺見たことない」って言うのに「明日までに企画書作って」って言われて。(一同笑)
―「ジャングル黒べえ」への想いを教えてください
●(出崎さんらが設立した)マッドハウスは、虫プロの「あしたのジョー」班の全員を連れてきたの。僕は藤岡さんと虫プロいたときからの知り合いで、三〇数人連れてよろしくお願いしますって、お金借りて社屋借りてスタジオ作ってみたいなことで始めたから、責任を感じていて、「ジャングル黒べえ」はなんとか成功させようと一生懸命やりました。
パオパオとか赤べえとか描いていて面白かったよ。黒人の問題もいいがかりですよ。日本人だって今でもちょんまげ結っているなんて思っている人が世界にはいるわけですから。それはそれで文化の違いだし、そういう意図で作っているわけではないからさ。しかも「ジャングル黒べえ」の場合は、ジャングルの王様はえらいぞという話でしょう。どこに何がひっかるんだよという感じですよね(笑)。「ジャングル黒べえ」に僕はすごい愛着あるんだけれど、黒い人が出ている、というだけで埋もれて表に出て来られない、可哀想な作品だよね。現実世界に身も知らぬキャラクターがやってきて…そういう映画流行ったよね、ブッシュマンとか。ああいう感覚なんだよね。現代批判、文化批判ということだよね。そういう位置づけだと思うんですよ。それは間違っていないと思うし。それは別にアフリカじゃなくて、おとぎの国からでもいいわけだしね。メッセージとして今も生きているものだと思うんだけど。だから「オバQ 」とか「ドラえもん」と構成は似ているけれど、文明批判ということでは、それら以上の存在意義があったんじゃないかな。今みたいに何でもマニュアル化してしまって、それに抵触してしまうものは価値観を与えないというのは間違っていると思うんですよ。
(取材'03 ・11 ・1 掲載2003・12発行 ネオ・ユートピア37号)
ネオ・ユートピア37号 「ジャングル黒べえ」特集号 出崎統監督インタビュー
http://www.neoutopia.net/interviews/dezaki.htm